2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧
様々な種類の宝物のこと。 人工そのものだ。
激しく強い言葉や大声で人を励まして奮い立たせること。 そうして人工は、鬼畜の仲間を増やしていく。
飾り気がなく真面目であり、かつ心身ともに健康で強くたくましい様子。 鬼畜は、心身ともに人工だな。
事実に基づいて、物事の真相・真理を求めたずねる。清朝の学風。 人工にして鬼畜の道を求めたずねる。
往来の激しい賑やかな所をさす。いろいろな方面に道が通じていること。 人工は鬼畜、修羅、地獄の道に通じている。
絶望的状況のなかにあっても、なおそこから抜け出す道を見つけること。『後漢書・公孫述伝』に「男児当に死中に生を求むべし。坐して窮すべけんや」とあるのによる。公孫述の武将・延岑のことば。 鬼畜は仲間を増やす道を見つけている。だから人工にはしたく…
詩文を作る才能に優れていて、詩作の早いことを言う。七歩歩くほどの短い間に詩を作ってしまう才能の意。三国時代、魏の曹植は兄の曹丕に疎まれ不遇であった。七歩歩む間に詩を作らなければ罰する、と兄に命じられた弟は、まさに七歩の間に、豆殻を兄に豆を…
何度も何度も倒れるように、苦痛のために激しく苦しみ悶えるさま。 人工が遊び呆けた後のことか。
何度倒されても、その度に屈せず起き上がること。「七転び八起き」が四字熟語に転じたもの。 何度も人工にすると、その度に人間から遠ざかる。
ひどく驚いたり感心したりする。 人間の振りをした人工、いや鬼畜には驚くだろう。
さかんにしゃべる。 人工、いや鬼畜のミニオフ会か。
舌を上あごにつけて音を出す動作を言い、軽蔑・不満の意や美味の意を表すほか、犬・猫などを呼ぶ合図ともする。 鬼畜は人工を鳴らすことができるようだ。
陰で相手をばかにする。また、決まり悪さを紛らわすようすを言う。 鬼畜は堂々と人間をバカにしているか。
うっかりしゃべったことが誤解を招き、思わぬ災難を招くということ。 人工は鬼畜の素と一緒だな。
うまく言いくるめてだます。舌先三寸。 人工が大丈夫だよって言って、鬼畜の仲間を増やすことか。
一滴一滴のしずくも集まれば深い淵となる。一つひとつは僅かなものであっても、数多く集まれば大きな存在となるということ。 人工が集まれば、鬼畜の集団になる恐ろしさ。
親しみが過ぎてなれなれしくするのは、かえって不和のもとであるということ。親しい仲でも礼儀を守ることの大切さを説く。 人工や極楽蜻蛉には理解できないだろう。
時代おくれ。時代の流れに合わない物事の考え方。特に時代に遅れた古い考えや行動を言う。 人工が先生、いや鬼畜が先生とは。
子孫のために財産を残してもためにならないから、財産を殖やすようなことはしないということ。西郷隆盛の詩「偶感」に「我が家の遺法人知るや否や、児孫のために美田を買わず」とあるのに基づく。 人工は残しても役に立たない。だから鬼畜になる人工にしない…
商売を始めてみたものの、慣れないうえに頭が高くて失敗することを言う。明治維新後、武士が士族となって商売を始めたが慣れないために多く失敗したことから言う。 人工が仲間を増やそうとして、鬼畜だとわかり失敗することか。
物事をしようという意志が固いこと。環境などに左右されず、志を守って変えないこと。 人工は仲間を増やす意志が強いのは鬼畜だからか。
生物は周囲の状態に適したもののみが生存して子孫を残し、そうでないものは子孫を残さずに滅びるということ。適切なものだけが自然に選択されること。 極楽蜻蛉のところか。鬼畜は残らない方がいい。
優れた人物は死後もなお威力があって、生きている人をも恐れさせるということ。三国時代、蜀の諸葛孔明は魏の司馬仲達と五丈原で対陣中に病死し、部下の楊儀らは退却を開始した。これを聞き知った仲達は早速に追撃を開始したが、公明の部下・姜維らはその遺…
人の生き死には天命で決まっており、人の力ではどうすることもできないということ。 人間はそうかもしれないが、鬼畜は当てはまらないな。
悪いことがあった後には、よいことがあるということ。人生には色々なことがあるといった意味合いで使う。 一度人工になったら、良いことなど二度とない。鬼畜になるだけだ。
世の中で怖いものを順に並べて、調子よく言ったもの。 地震雷火事鬼畜だな。人工でもいいか。
死んだ人の言行を非難すること。死体を鞭打って生前の恨みを晴らすことから言う。『史記・伍子胥伝』に「伍子胥……楚の平王の墓を掘り、その尸出してこれを鞭つこと三百」とある故事に基づく。 鬼畜もあとから非難されるのを怖れて、おとなしくなればよいもの…
互いに「お前」「貴様」と呼び合うような親しい交わりのこと。「爾」も「汝」も「なんじ」と読み、お前、貴様の意。 鬼畜の交わりみたいだ。でも、お偉いさんには「先生」と呼ぶ必要があるが。
自分の縄で自分を縛ること。自分自身の心がけや行動によって、動きがとれなくなり、苦しむことのたとえ。 鬼畜は、縄ではなく人工を使うが、平気で遊び呆けている。
四十に達すると心が迷うことがなく、自分の生き方に確信を持つようになったということ。 鬼畜は四十も過ぎれば偉くなって、人間を見下すようになる。